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人工知能伝習所

〜 AI x Big Data x IoTなトピックを、非エンジニアにも分かりやすくお届け 〜

西垣 通著「ビッグデータと人工知能」を読んだ

読書感想

総評

第二次人工知能ブームの1980年代初頭に、人工知能のトップ研究者がひしめくスタンフォード大学に客員研究員として留学していた研究者による、第三次人工知能ブームの解説と、行き過ぎた仮説への警鐘の書です。

レイ・カーツワイルのシンギュラリティ仮説、汎用人工知能(AGI: Artificial General Intelligence)、超人工知能(ASI: Artificial Super Intelligence)などに興味を惹かれつつも、どこか疑問やうさん臭さを感じている人には、人工知能の専門家から「そんなことは起きないから心配ご無用!」の太鼓判を押してもらえます。

一方で、第二次人工知能ブームでの第五世代コンピュータ開発プロジェクトやその後の冬の時代で挫折を味わった人間から見た、第三次ブームに対する苦々しい気持ちが見え隠れしていたりする(特に第三章〜第四章)ので、そこは生暖かい気持ちで読み進めるのがいいでしょう。

最終章(第五章)の、ビッグデータ人工知能集合知を三位一体で活用した「知能増幅(IA:Intelligent Amplifier)」と、人工知能の活用方法と社会的影響を考えるための情報教育のあるべき姿は、着地点として良いと思います。

良かったところ

1980年代当時の第一線の研究者の視点で、何が良かったのか、何が悪かったのかという歴史的振り返りを追体験できる点が良かったです。また、技術的思想の裏に横たわる民族・宗教的背景や哲学の潮流にまで立ち入った解説は、文系理系の知識を縦横無尽に活用した筆者ならではの視点で、勉強になります。

イマイチだったところ

一神教」や「ユダヤ思想」まで持ち出してきての議論は、やや散発的で感情に走りすぎた感があり、カーツワイルへの反論としては、いまひとつでした。もう少し冷静な議論をつくす余地があったのではないかと思います。例えば、人工知能は人間の思考から生まれた産物だから「いくら頑張っても、人間の認識や知性の限界を超えることは不可能」という記述がありますが、これはちょっとどうかな、と思った部分です。

「出藍の誉れ」という言葉があるように、私は、人間が創り出した機械が、人間の認知能力を超えた思考力を持つ可能性はあるように思えます。事実、囲碁のプロに勝ったAlpha Goは、長い碁の歴史の中でプロ棋士たちが定石としてきたのとはまったく異なる「中央に厚みを作る」戦法で勝利しました。まさに、「人知を超えた」方法で人工知能が勝ってしまったわけです。もちろん、私も、これをもってシンギュラリティが訪れたとか、汎用人工知能が実現したと思っているわけではありませんが、特定のアプリケーションや専門領域については、「人工知能が人間の知性の限界を超えることは十分にありうる」と思います。

目次

まえがき
第一章 ビッグデータとは何か
 1.1 データが主役の時代
 1.2 富とセキュリティ
 1.3 超えるべき壁
第二章 機械学習のブレイクスルー
 2.1 人工知能ブームの再来
 2.2 深層学習の登場
第三章 人工知能が人間を超える!?
 3.1 シンギュラリティ狂騒曲
 3.2 生物と機械の違い
 3.3 ロボットとのコミュニケーション
第四章 自由/責任/プライバシーはどうなるか?
 4.1 一神教の呪縛
 4.2 社会メガマシン
第五章 集合知の新展開
 5.1 ビッグデータ集合知
 5.2 人間と機械の恊働
あとがき

ざっくりとした論旨

まず、「第一章 ビッグデータとは何か」では、ビッグデータが単なるバズワードでないことを指摘した上で、ビッグデータの特徴である3つのV(Volume, Variety, Velocity)について説明しています。ビッグデータの元になるデータの発信源は、我々自身の消費活動と、センサーやデバイスが接続されたIoTです。これらのデータが、消費(データマイニング)と生産(インダストリー4.0)を変革することで、富を生み出のです。また、データが安全/安心な社会を作ります。懸念すべき課題は、プライバシーと「因果より相関」に偏重した分析方法。「人工知能が課題解決の鍵か?」という問題を提起して第二章へ。

「第二章 機械学習のブレイクスルー」では、人工知能ブームに安易にのっかって「人間より賢くなった」という言説は過大評価だし楽観的すぎると厳しく批判。過去の人工知能ブームを下記のように振り返ります。
 第一次ブーム:論理機械
 第二次ブーム:知識処理→第五世代コンピュータ
 第三次ブーム:パターン認識→深層学習
深層学習は確かにブレイクスルーでしたが、だからといって短絡的に「汎用人工知能(AGI)」が実現するのは幻想だと釘を指します。研究費欲しさに誇大広告をせず、研究者は専門人工知能に特化すべき、と主張します。

「第三章 人工知能が人間を超える!?」に入ると、筆にいっそう熱がこもってきます。論旨はだんだん哲学的込み入ってくる一方、シンギュラリティ(技術的特異点)仮説や「超人工知能(ASI)」に対する感情的な否定が繰り返されます。曰く、「馬鹿馬鹿しい」「荒唐無稽」「幼稚な楽観主義」など。批判の根拠となるのは「人間と機械は違う存在だから」の一点張り。違う存在を並べて、「機械が人間を超える」とか言っていること自体がおかしい、とおっしゃってます。また、人工知能は人間の思考から生まれた産物だから、人間の知性の限界を超えることは不可能、だとも。そして、「シンギュラリティ仮説の背景には、ユダヤ=キリスト教文化がある」と。

「第四章 自由/責任/プライバシーはどうなるか?」は、もうほとんど宗教論争に近い様相を呈しています。欧米のロボット観に「一神教の呪縛」というレッテルを張り、そのレッテルの上にシンギュラリティ信奉者をのせてそれを叩く、という感じです。もはや、筆者は誰と戦っているんだろう?という気分になってきました。

最後に、「第五章 集合知の新展開」で、ようやく筆者が考える人工知能のあるべき姿が述べられ、少し話が前向きになってきます。その姿のカギとなるのが「集合知」です。ビッグデータの分析は人工知能に行わせるが、その結果を「助言」として人間にインプットし、専門家の意見も素人集団の意見も集合知としてまとめあげることで、人工知能、専門家の経験(暗黙知)、素人の独創的な発想などが活かされる、というのが基本アイデアです。人工知能(AI)から、知能増幅(IA)へ。そして、人間は増幅した知能を使ってネット上で積極的に「情報を表現する活動」すべきだと。ビッグデータ人工知能の応用と社会的影響を正しく議論するために、文系/理系入り交じった情報教育が必要、という提案で本書は締めくくられています。